クスコ゚ーフテヨ: 神 >> 救いの祈り
救いの祈り−それは神に信頼することから始まる.
私達が救いの祈りをする時、神のことばの真理に確信をもっていることと、神が下さった信仰によって、神を信じることができる、と聖書は言っています “信仰がなくては、神を喜ばせることはできません. 神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです.” (ヘブル 11:6)
ですから、祈る時、恵みの賜である救いをください、と祈りましょう.自らの自由意志を実践して神を信じるのです.自分の意思で神を信じたあなたの信仰の告白を喜ばれます.
救いの祈り−罪の告白
聖書が言っているように全ての人はキリストを通してのみ救われるのですから、あなたが救いの祈りをするとき、自分の罪を認めることは大切です: “全ての人は、罪をおかしたので、神からの栄誉をうけることができず.”(ローマ人3:23)
罪は標的を外れた矢と同じように、何れ神の目的の達成と言う標的から外れて違う方向に飛んでゆきます. しかし、落後したことによって私たちがイエス・キリストを見出すことができるなんて、なんと素晴らしく測り知れない神の目的でしょう. “闇の中から光が照りいでよ、と仰せになった神は、キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにする為に、私達の心を照らしてくださったのである.”(2コリント人4:6)
初めに救いの祈りをしてから、イエス・キリストだけが罪の無い生涯を送られたことを認めます. “神は私達の罪の為に、罪を知らない方を罪とされた. それは、私達が、彼にあって神の義となるためなのである”(2コリント人5:21)
救いの祈り−キリストは救い主であり主であると信仰を持って告白する
キリストの完全性が私たちの基準であり、キリストに信頼し、キリストは神であると認めます。使徒ヨハネがこう言っています: “初めに言葉があった. 言葉は神と共にあった. 言葉は神であった. この言葉は初めに神と共にあった. 全てのものは、これによって出来た. 出来たもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった.” (ヨハネの福音書1:1−3)
神は完全で罪の無い犠牲だけを受け入れることが出来るのです。私たち人間は必ず罪を犯すので完全な犠牲となることはできません、さらに神はそのこともよくご存知です。 ですから神は罪のない御子イエス・キリストを私たちの罪の代価としてこの地上に送ってくださったのです。
救いの祈り‐心から正直に告白しましょう!
あなたは今までの説明に同感しますか? もしそうであるならば、時を待たずに今イエス・キリストと一緒に新しい人生をスタートしましょう. 私達と一緒に次のように祈ってください :
“父よ、私があなたの掟を守らなかったために私の罪があなたとの間を引き離してしまったことを知っています。本当にごめんなさい、今までの罪深い生活から離れてあなたに従います。どうぞ私を 赦してください、そして再び罪を犯すことがないように助けてください。あなたの子であるイエス・キリストが私の罪のために死んで下さったことを信じると共に死からよみがえられ、今も生きていて私の祈りを聞いて下さることを信じます。イエスが私の人生の主となられ、今から常に私の心を支配して下さるようにあなたをお招きします。あなたに従うことができるよう助けて下さる聖霊をおくって下さい。そしてこれからの私の人生をあなたの御心を行い歩むことができますように、イエスの御名によってお祈りします。アーメン”
救いの祈り−祈りましたか; 次は?
確信を持って救いの祈りをしたならば、今あなたはキリストに従う者になりました. 祈った後、何も変わったように感じなくても確かにあなたは救われました.宗教上−暖かい感じで包まれる、ゾクゾクする、神秘的体験をする場合もあります. しかし実際には体験する人とそうでない人がいます. どちらにしても、救いの祈りであなたは確実にイエスに従う者となったのです. 聖書は、あなたの永遠の救いはゆるがないと次のように言っています “すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神がイエスを死人の中から蘇えらせたと信じるなら、あなたは救われる.”(ローマ人10:9)
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私たちに続く
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