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神とは誰なのか−神は自分を誰だと宣言しているのか?
神とは誰ですか?神とは何か?神はこれまでに非人格的生命の躍動から情け深い御方で人格を持つ、全能な創造主といったありとあらゆる形で表現されています。神はまた数々の名前で呼ばれてきています。そのうちのいくつかをあげてみると(ギリシャ神話の)ゼウス、(ローマ神の)ジュピター、(ヒンドゥー教)梵天、アラー、ラー、オーディン、アッシュール、いざなぎ、ヴィラコチャ、アフラマズダ、“大いなる霊”などがあります。ある人々にとって神は、“母なる自然”または “父なる神”であるかも知れません。 神とは一体誰なのでしょうか?神は御自分を誰だと宣言しているのでしょうか?
神とは誰なのか−父なる神、それとも母なる自然?
神とは誰ですか?神とは何か?神は御自分について何と言っていますか?先ず始めに、神が御自分を親として表現する時、母ではなく “父” と表現しています。神は御自分を“イスラエルの父” 1と呼び、“子供たち”がことさらに父である神を軽視したとき、このように言いました、“子は父を敬い、しもべはその主人を敬う。もし、私が父であるなら、どこに、わたしへの尊敬があるか。もしわたしが主人であるなら、どこに、わたしへの恐れがあるか。” 2
神の預言者たちは神を父であると認識し、 “ しかし主よ。今、あなたは私たちの父です。私たちは粘土であなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの手で造られたものです。”3 “私たちはみな、ただひとりの父を持っているではないか、 ただ一人の神が、私たちを創造したではないか。”4 神は御自分を一度も母と呼んでいません。同じように預言者たちも神を母と呼んいないのです。神を“母なる自然”と呼ぶのは父を “お母さん” と呼ぶようなものです。
神とは誰なのか―神は何に関心を示されるのか?
道徳的立場からみた神とは一体どんな御方なのでしょうか?この点に関して神は御自分について何と言っているのでしょうか? 私は正義と公義を喜ぶと言っています。“主はこう仰せられる。「知恵ある者は自分を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、私を知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行なう者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。」”5“まことにわたしは公義を愛する主だ。わたしは不法な略奪を憎む。”6
公義と正義は神にとってとても重要です。そして、恵みと哀れみも大切です。ですから、神は私たち人間の生き方に責任を仮せるますが、悔い改めた罪びとたちには神の恵みも与えるのです。神は私たちに約束してこのように言いました。“しかし、わるものでも、自分の犯したすべての罪から立ち返り、わたしのすべてのおきてを守り、公義と正義をおこなうなら、彼は必ず生きて、死ぬことはない。彼が犯したすべてのそむきの罪は覚えられることはなく、彼が行なった正しいことのために、彼は生きる。わたしは悪者の死を喜ぶだろうか。‐‐神である主の御告げ‐‐彼がその態度を悔い改めて、生きることを喜ばないだろうか。。。わたしは、誰が死ぬのも喜ばないからだ。神である主の御告げ‐‐だから、悔い改めて、生きよ。”7
神がここで言う “死” とは、私たちが一般的に考える肉体の死ではなく、肉体の死の後に起きる永遠の死を意味しています。聖書はこれを“第2の死” 8と呼んでいます。第1の死はこの世から引き離される肉体の分離で、第2の死が離別です。人間は義と認められ赦された者のグループと、悪を行ないそれを悔い改めなかった者と2つのクループに分けられ別々に裁かれます。
1つのグループの人々はその良い行いによって報いられ、悪い行いは神によって赦されます。2つ目のクループの人々は彼らの悪い行いが裁かれ、良い行いの故に神の裁きを免れることはないのです。神は一つのグループの人々に対して彼らの良き働きを報い、彼らの犯した悪い行為を赦します。 神はこのように言いました、“正しい人が自分の正しい行いから遠ざかり、不正をし、その為に死ぬなら、彼は自分の行なった不正によって死ぬ。しかし、悪者でも、自分がしている悪事をやめ、公義と正義とを行なうなら、彼は自分のいのちを生かす。彼は反省して、じぶんのすべてのそむきの罪を悔い改めたのだから、彼は必ず生き、死ぬことはない。。。だから、悔い改めて、いきよ。” 9 このように、神は最終的に公義を行なう者に勝利を与えますが、謙虚で悔い改めた者にも神の恵みを与えます。
神は悔い改める者のために対策方法を用意していました。対策の目的とは、神を信じ義とされたいと求める者の罪を贖うことです。神は、神を信じて悔い改める者の罪の代価として、“メシア” を送ってくださいました。そしてこの“メシア”は自ら御自分の命を犠牲にし、私たちに仕える者となったのです。聖書はこう言っています。“私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現れたのか。。。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分のかってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。。。しかし彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末永く、子孫をみることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、かれの咎を彼がになう。それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちと共にかぞえられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。”10
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脚注:-
エレミヤ書 31 : 9
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マラキ書 1 : 6
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イザヤ書 64 : 8
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マラキ書2:10 ; 参照--詩篇89 :26;エレミヤ31:9;イザヤ書9:6;63:16
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エレミヤ書9:23-24
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イザヤ書61:8
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エゼキエル書18:21-23,32
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ヨハネの黙示録2:11; 20:6, 14; 21:8
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エゼキエル書18:26-28, 32
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イザヤ書 53:1、4-6、10‐12; 参照--イザヤ書52:13-53:12 ; 詩篇 22 ; ダニエル9:24-27
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